2001.5.6

小説「坂の上の雲」を読んで その1

◆明治という時代

 私は歴史小説が好きで比較的よく読む。なかでも故司馬遼太郎氏の戦国時代ものや幕末ものが好きで、それらの時代を扱った作品は大抵2回以上読み直している。特に幕末ものの坂本竜馬を主人公にした「竜馬がゆく」は最も読み直した回数が多い作品だ。
 「竜馬がゆく」は幕末の動乱期から徳川幕府の終焉までを書いた作品だ。ちなみにその後の明治政府(太政官)の誕生後から反太政官勢力が掃討されて明治政府の安定に向かう時期を書いたのが「翔ぶが如く」である。今回のテーマとして考えている「坂の上の雲」はさらにその後、明治時代後半の日本を、日露戦争を中心にその前の日清戦争などを含めて書いている。つまり、この3つの作品は明治維新という革命がどのような思想の元に進行し、革命政権がどのような問題をはらみそれをどのようにくぐりぬけ、そしてそれがどのように結実したか、というひと続きの流れになっていると言ってよいと思う。
 
 「坂の上の雲」は前述の通り、日露戦争が物語の中心になっている。よって私の文章も日露戦争の話が多くなることが予想されるが、私は別に戦争が好きなわけではない。言ってみれば、戦争という巨大な出来事を通して、「組織の運営能力」というものを考えてみようというのが本旨のつもりだ。
 とはいえ、このコンテンツそのものが私の思ったことをとりとめもなく書いていくというものなので、かなりの脱線が予想される。また、説明や事実の列挙が多くツマラナイものになったり、あるいは私の不勉強により事実に反することさえ書いてしまうのではないかと心配もしている。このコンテンツを読まれる数少ない方がたにはその点ご了解いただきたい。
 
 まず、舞台となる明治25年頃から明治の終わりにかけての「背景」というものを考えてみる。まず国内について。政治・軍事の要職には明治維新の立役者(西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允、高杉晋作など)の下で奔走していた人々がついており、日本の近代化(当時はそれは西欧化を意味する)に努めていた。世の中は維新後に生まれた「新しい世代」の若者が成長し世に出ようとしているところだった。この時代というのは庶民、特にどうも「新しい世代」の若者にとっては“希望”という点において明るい時代だったように思える(経済的には苦しかっただろうと思う)。
 これは、能力さえあればどんな職業にでもつくことができるようになったことや、努力次第で新たな分野で第一人者になれるといったようなことだ。そして、個人の努力が国の成長に直結していたことで、より高いモチベーションを持つことができたようだ。
 一方世界の情勢は帝国主義の時代で弱肉強食ともいえる情勢だった。そんな中、日本は米と絹程度しか主要な産業がないながら、いわゆる「強国」に対抗できるだけの軍事力を築き上げようとしていた。
 当然無理がある。
 その無理は重税となって国民にのしかかる。が、国民はそれに耐え、官僚・政治家のほとんどは私欲を持たず国のため(やや詳しくいうと国の独立を維持するため)に働いた。明治という時代は貧困の時代だったと言ってよいかと思うが、議会制民主主義が生まれ、政治・経済・軍事には腐敗がなく、国として若さと弾力をもった時代でもあった。
 ロシア国内の情勢は反帝政の気分が高まりつつあり革命の気運が芽生えている。官僚は能力ではなくロシア皇帝の好みで取り立てられたり失脚したりするので、ロシア皇帝の意を汲んだ発言・行動ばかり取るようになる。自然と、国家あるいは国民のためという発想から遠ざかり自己保身のための発想になってくる。つまり、腐敗している、と言ってよいだろう。
 
 日露戦争とは、そんな、貧しいがみずみずしい議会制民主主義を持つ日本と、世界有数の軍事力を有するが、諸制度が老朽化し官僚が腐敗した専制君主制を持つ帝政ロシアとの争いである。この辺明快なコントラストがあって面白い。
 
 予想はしていたが、今回は第一回目ということもあり当時の「背景」の説明ばかりを私の拙い理解の範囲で書くことになった。なんだかしばらく説明が続きそうだが自分の好きなことを書くコーナーなのでまあよしとしよう。

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