2001.5.6

小説「坂の上の雲」を読んで その2

◆開戦の判断

 私は「坂の上の雲」を読むまで明治政府あるいは軍部について「太平洋戦争のころとさほど変わらないだろう」と漠然と思っていた。が、大間違いであった。
 当時の政治家・軍人が日本を過大評価せず、客観的な現実に基づいて判断・行動していたことに驚いた。しかし、普通に考えれば戦争で日本がロシアに勝てるはずはないのだが、彼らはロシアと戦争を始めた。この辺の機微もなかなか興味深い。
 
 前回も書いた通り、当時は軍事力がモノを言う時代だった。特にロシアは帝国主義に遅れて来た国家だったために領土的野心を剥き出しにしていた。その野心が朝鮮半島に向けられるにいたり、日本の危機感が膨らんでいった。
 「坂の上の雲」によると日本は朝鮮半島を緩衝地域とし、大国と直接(日本海をはさんではいるが)隣り合うことを避けたいという基本姿勢を持っていたようである。日本は朝鮮半島についてロシアと外交で納めようとしたが(この辺等の朝鮮にとっては甚だ失礼なように思うが)、ロシアは適当にあしらうだけで満州方面に兵力をどんどん送り込んでいるような状況であった。同著では、この当時のロシアの行動から想像するに、朝鮮半島を勢力下に納めたら日本全土を侵略するということはないにしても(島国という地理条件からして)、北海道と対馬を割譲するぐらいのことにはなったかもしれないとしている。
 とはいえ、実際にはロシアは朝鮮半島をめぐって日本と戦争をする意思はなく、その方面に兵力を増強することで日本を威圧しようとしていたようであり、日本の戦力や国情、将兵の質などを調査してはいなかったようだ。それに対し、日本は早くからロシアの南下政策に脅威を感じ、仮想的としてさまざまな諜報活動を行っていた。
 
 さて、客観的な現実感覚を持っていた当時の日本政府が、戦力、経済力などの点で懸絶した差を持つロシアに対して開戦を決意したのは以下のような理由からである。
 まず、先に述べたように交渉は話にならず、満州方面にロシアの戦力が増強されつつあり開戦が遅れるほど日本に不利になっていくという点
 ロシアの国内外に帝政に対しての不満が多く、反帝政勢力の不安を抱えている点
 当時世界一の海軍国であったイギリスと同盟関係を築けた点
 戦争で負けても、開戦に踏み切らなくてもどちらにしろ日本がロシアの制圧下に置かれるという危機感
 などである。
 ちなみに、日露両国の戦力をざっと比較すると、陸軍は日本が常備兵力で約20万でロシアが同約200万で約10倍の差があり、海軍の艦船では日本の艦隊に対しロシアは約2倍ほどの艦船を持っていた。ついでに経済面では日本の歳入はおよそ2億5千万円でロシアはおよそ20億円だった。数的な比較では日本に勝ち目はないのだが、諸事情を考慮すると状況は変わってくる。
 まず、ロシアは常備兵力200万といいながらも、広大なロシア領を空にして極東に兵力を振り向けるわけにはいかず、またヨーロッパ方面の軍事バランスやシベリア鉄道の輸送力などを考えても当面20万そこそこしか振り向けることができなかった。それに較べると日本は国を空にして兵力を全て持っていくことができた(やはり輸送能力の問題はあったが、他国からの侵略を顧慮する必要がなかったために)。海軍についてはロシアは極東の太平洋艦隊と本国のバルチック艦隊に分けており、当面日本の艦隊(「連合艦隊」という)の相手は太平洋艦隊のみであり、太平洋艦隊との比較でいうとほぼ互角かわずかながら優勢といってよかった。
 
 このような状況下で陸軍の参謀総長の児玉源太郎は戦争の見込みをこう語っている。
 「普通にやってまず四分六分。作戦の妙をつくして五分五分というところをもう一段の努力で六分四分までもっていき、優勢なところで機をとらえて第三国に調停をしてもらう。」
 この見込みには「精神力」や「大和魂」などといった形而上の概念は計算要素としてはいっておらず、現実的な見方だがこの計算を実現するために必要な条件があった。短期決戦でなければならなかった。戦争期間が延びるとロシア本国から送られてくる兵力が増え、数的に不利になっていく。また戦費の面でも日本はそれまで軍事力向上のために無理に無理を重ねてきているため長期戦に耐える経済力がなかった。
 
 戦費の問題は戦略面にまで影響をもたらすことになる。日本は戦費の多くを外債に依存することになるのだが、圧倒的不利(と思われている)な状況下で日本の外債ををさばくことは困難なので、国外の信用を得るために実際の戦闘の中で一局面ごとに勝利を収めていかなければならなかった。少なくとも「六分四分」の「優勢なところ」まで持っていくことができなければ軍事以前に経済的に戦争を続けることができなくなってしまうような状況だった。
 
 このように、日本が日露戦争に踏み切った事情というのは、軍事・経済両面で困難な状況にある中でギリギリまでそれを回避しようとし、その望みがないことが明らかになった時点でわずかながらも現実的な(机上の計算ではない)勝算の元で開戦に踏み切ったものと言える。日本びいきな見方かもしれないが、少なくとも昭和初期の日本や、あるいは現在の日本に較べてみても、当時の政府は実務能力(戦争に限らず)においてはるかに優れていたのではないだろうか。

 その要因として「無私」ということが大きいように思う。もう少し言葉を尽くすと、「個人の利害ではなく公のものの利害を考えて行動できる意志」と言ってもいいかもしれない。日露戦争の中にはこの点でのコントラストが随所にある。日本とロシア、陸軍と海軍、上官と部下、などなどである。次回以降このあたりのコントラストを考えてみようと思う。

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