2001.5.31

第三部〜回収編〜 その9

◆困ったコマッタ

 さて、前回書いた3月15日の相手方弁護士との電話で既に免責決定がおりてしまっていたことは確認できた。また、私の債権は免責の対象でないことも確認できた。それはよいのだが、このままでは到底回収はできそうにない。
 債務者本人とは連絡が取れないし、その家族には支払い義務もないので強行な手段は取れない。債務者本人と話せたところで「無いモノは払えない」と言い張られれば、こちらが何か隠し財産でも探し出さない限りどうしようもない。通常なら相手に弁護士がついた場合には、相手弁護士が社会常識に基づいて減額・分割払い・支払い開始時期の猶予などの交渉をしてくると思うのだがそれもない。
 正直参った。ぼんやりとした考えが無いわけでもない。免責決定の取り消しを求めて訴訟を提起するという手だ。しかし、これにはまたかなりのエネルギーと知識を必要とする。しかも、このような話になってくると到底素人の手には負えなさそうだ。かといって弁護士を雇うほどの出費も痛い。
 もちろん、この方策の趣旨はジジイの免責決定を取り消すことではない。それが現実的に可能性のあることなら、それを交渉の手段として使う、ということにある。
 しかし、これも前述のように様々な理由から難しそうだ。
 
 困った。何か取るべき手段がないか?
 今までは直接回収に繋がるかどうかはともかくとして、現実的に取りうる行動は色々思いついてきた。ジジイが行方不明になったときは困ったが、今回はそれ以上だ。さて、どうする?
 
 ここで余談を入れよう。このとき、私は明治初期の征台(台湾への出兵)のときに清国と交渉に当たった大久保利通のことが頭をよぎった。征台というのは、それ以前に征韓論について政争に敗れた西郷隆盛や西郷を慕う薩摩士族の気分を和らげるために起こしたものだ。つまり、内政のための外征で、多分にいいがかりの要素が強い。そのような状況で大久保は清国から賠償金を取るべく交渉に当たったのだ。台湾の日本軍はその始末がつかなければ帰国できないのだが、元が言いがかりに近いものがあるので交渉は難航する。さらに疫病まで流行り、兵士達も倒れていっている。しかも、賠償金を得ることができなければ、日本は清国との戦争や国内への征韓派の内乱などを覚悟しなければならない。そういう状況だった。
 私が大久保のことを思い出したのは、このときの清国との交渉を続ける粘り強さが印象に残っていたからである。
 大久保はともすれば交渉が決裂に終わる、というような状況の中でも、些細なことに関する質問書を残し、次の交渉の時に回答をするよう申し入れるなどして、常に「次の機会」を作ったそうだ。最後には「これ以上の談判は意味をなさない。よって帰国する他なし。」と清国側に交渉の決裂を告げ、清国側からも「強いて貴殿の帰国を止めるつもりはない。」と言われてしまう状況に陥った。こうなった以上普通は諦めて帰国するなり、開戦の準備をするなりするはずなのだが、大久保はさらに文書を清国政府に送った。結局この文書が英国公使に渡り、自国利益のために極東での戦争を避けたい英国の仲介で日本は賠償金を得ることができた。
 この事件と私の債権回収の話を関連付けるのは無理があるのだが、大久保の粘り強さだけは参考にしよう。しかも私の場合、理はこちらにある。何かがむしゃらに動いていれば何か動きがでてくるかもしれない。
 
 さて、今回は困っているだけで何の進展もない。何でもいい動くネタを考えなければ。

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