2001.4.11

子供について その7

◆子供からの影響

 子供のことについては書いていくとほとんどいくらでも書けてしまうのだが、一応今回でひとつの区切りとしておこうと思う。
 今回は子供たちのことではなく、子供を持つことによって自分自身が変わった点について書いてみようと思う。
 
 まず思い浮かぶのは、ものの見方である。やはり親になると今までの視点に親としての視点が加わってくるようだ。
 例えば、ニュースで「高校生が殺害された」みたいな事件を見たとしよう。以前だったら、「自分がその殺された高校生だったら...」というような視点で見ていたように思う(ちなみに「殺した方だったら」というようなことはナゼかあまり考えたことがない)。が、今ではそれに加えて「自分がその殺された高校生の親だったら...」という視点が加わっている。
 不思議なもので、親としての視点が加わってからの方がニュースに対する思い入れも強くなっている。被害者が自分と同じような年齢、家族構成の方だったりするとなおさらである。
 
 ニュースといえば、ちかごろ児童虐待や育児放棄の報道が異常に多い。こういうニュースは本当にやりきれない。
 自分に子供がいるので、「生きていく」ということにおいて子供がいかに無力な存在であるかがわかるからだ。赤ん坊はもちろんのこと、幼児でも大きくは変わらない。食事は親が与えなければ食べられず、暴力を受ければやり返すことはおろか身を守ることもおぼつかない。もちろんそういうことは子供ができる以前にもわかってはいたことである。が、自分に子供ができてその無力さを知った後では理解の次元が違うのだ。そしてさらに悲しいのは、子供にとっては少しでも長く生きるためにそんな親に服従しなければならない、ということだ。

 ケースによっては親の方の事情も理解できることがあり、そういう場合もやるせない。
 核家族で頼れる親族もおらず、父親は仕事で夜遅いなどという場合には母親の負担というのは計り知れないものになる。育児というのは特に一人目の子供の場合だとわからないことも多く、ちょっとしたことで不安になるものである。また生後数ヶ月は母親と常に一緒にいることになるので、自分の時間が取れないということも母親にとって大きな負担になっていく。父親が休みの日にでも育児に積極的に参加したり、子供のことについて話しをしたりすれば、母親のストレスは想像以上に軽減されると思われるが、父親が普段仕事に追われるような生活をしている場合、なかなかそれすらもできにくいと思う。
 そうして追い詰められていった母親が虐待や育児放棄に至るような場合などは、当事者みんなが気の毒で、とりあえず「政治が悪い」などと飛躍してしまったりもする。
 
 次に思い浮かぶのは、心配性になったということだろうか。
 以前、「子供はあなどるものではない」ということを書いた。全く反対のことを書くようだが、子供は浅はかである。つまり、子供はよい方にも悪い方にも大人の考えている範疇を超えているのだ。
 部屋の中を歩いているだけなのに、どう目測を誤るのかテーブルの角や柱にぶつかり泣いたり怒ったりする。椅子に座っているだけのはずなのに突如落ちる。歩いていても何故か急にころぶ。参考までに、私は昔小学4年生にもなって自転車で左右確認せず交差点を突っ切り車にはねられたりした。
 さらには以前も書いたが、長女はひきつけて呼吸が止まったり、次女は3週間ほど入院したりしたこともあり何かと心配のネタはつきない
 子供たちが小学校にあがって自分で登下校するようになったら尾行しそうである。事故にあったり誘拐されたりしそうな気がしてしようがない。
 
 他にも自分の中では色々な変化があるのだが、やはりキリがないのでまたの機会に書いてみようと思う。
 以下締めくくり。
 子供をつくり育てていくというのは労力面でもストレス面でも経済面でも大変なことだと思う。が、これほど興味深く、影響力(さまざまな面において)のある出来事というのはちょっと他にないと思う。世の男性の傾向としては子育てについて必要以上に距離のある場合が多いのではないかと思うが、それはちょっともったいない。父親の義務というような受動的な気持ちではなく、未知の世界を探求するような気持ちでいくと色々な発見があったり新たな謎が生まれたりしてかなり楽しめるように思う。
 あくまで「現時点での」私の考えである。

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